院長の生い立ち(1)
一週間以上も書き込みをサボってしまいました。というより、元々モノを書くという習慣が無いので、テーマを探すのに苦労しています。
今回より、新シリーズで私の生い立ちを時々書いていこうと思います。このことで、当院へ来院して頂いている皆様方と私との距離が少しでも縮まればと思っています。
広島市で生まれた私は近くの保育園、祇園小学校へ通いました。小学生の頃から水泳を始めて、水泳一筋の青春期が始まることになります。広島の名門フジタドルフィンクラブへ兄弟4人全員がいつの間にか通い始め、最終的に続けたのは私だけでした(兄は水泳、陸上からスキーへと転向し、今では神奈川県から国体にも出ています。弟は卓球、妹はバレエへ)。
小学校低学年の頃、毎週日曜日に祖母に連れられスクールに通い、その帰りにレストランでハンバーグか何かを食べるのが楽しみだったのを覚えています。小学校高学年頃にはロサンゼルスオリンピックにも出場した奥野景介・現早稲田大学助教授にあこがれてはいましたが、特に強い思いもなく淡々と泳いでました。小学校では4年生の時に囲碁クラブ、5・6年生では先生が僕達のために体操・水泳クラブを作ってくださり、そのクラブに在籍しながら、スイミングスクールに通っていました。
クラブ以外では、小学校の夏休みには体験飼育員という企画が安佐動物公園で3日間行なわれ、タヌキや鹿の担当になり、タヌキも同じ場所で排便をすること(ウンチの山)を学びました。当時から生き物は大好きで、夏は特に川へ山へ行きザリガニやハヤ、ナマズ、クワガタなどを取っては遊んでいました。今ではなかなか出来ないと思いますが、空き地で基地を作って遊んだり、そこにある建物でこっそりゴールデンハムスターを飼ったりしていました。そうそう確か絵画教室にも通っており、毎週土曜日に300円くらい持って教室で紙を買い花瓶などを描いていました(もちろん才能はゼロ)。また、アンビックという英会話教室にも通っており、そのおかげで中学校に入ってからの英語に対するアレルギーは全くなく今日まで来たと思います。
書き始めると少しずつ思い出してくるもんですね。今回はこれ位にしておきます。次回をお楽しみ(?)に。
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