2006年6月18日 (日)

院長の生い立ち(3)

中学1年生頃に初めて身近な存在となる犬を飼い始めました。  

20060618205840_edited_1 ジュンです。

家族で犬を探しにペットショップに行き、ほとんど全員一致でジュンを選んだと思います。ジュンは見ての通り雑種で、ペットショップでは里親を探していたみたいで、フード代の5000円のみでうちに来ました。本当に優しくいい子で、一緒に散歩していても心強いパートナーという感じでした。もちろん(当時の感覚です)外飼いです。

20060618211059_edited_1 この頃は今のように動物病院に連れて行くのは何かあったときだけで、予防といえば狂犬病注射くらいしか頭にはありませんでした。また、今ほどのことを動物病院に期待もしていなかったように思います。実際よく連れて行っていたところは、古臭い建物で、診察台が手術台というような所でした。

ジュンは確か2回子供を生み、2回目に生んだ子の内一匹がうちに残り、後は近所の人のところへ行きました。残ったのが『シロ』です。「そのまんまかよ」と言われそうな名前ですが、当時はみんなそんなもんでしたよね。

シロはジュンと違い、あまり頭は良さそうではなく、おてんば娘という感じで可愛かったのを覚えています。

私が鳥取の大学に行っている間に2匹とも亡くなってしまい、今考えると、フィラリア症にでもなっていたのかなと思い、心が痛みます。

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2006年4月21日 (金)

院長の生い立ち(2)

中学校は近くの祇園中学校へ通いました。もちろん公立中学。小学校の同級生では一人か二人中学受験をしていました。武田山という小さな山の中腹に位置し、毎日坂を上って通学していました。半径3キロ以上の生徒は自転車通学できたので、すごくうらやましかったことを覚えています。

中学校に入ると、スイミングクラブも選手コースとなり、毎日きつい練習となりました。今想えばこの時の経験が私に自信をつけてくれたのだと思います。中学校でも水泳部に入りました。友人と水泳部の部室(プール内の更衣室)に行くと、先輩か何人かたむろしていて一人はタバコを吸っていました。その先輩がしょっちゅう唾を吐いていたのを今も覚えていますが、名前は覚えていません(わりと優しい先輩達でした)。というのも、2年生になった時に水泳部が無くなったからです。

家で勉強をすることはありませんでしたが、基本的にまじめな性格の私は授業を常にまじめに聞いていたのでついて行けないという事はなく成績も中の上といった感じだったと思います。勉強もせずに何をしていたかというと、もちろん水泳です。先生の取り計らいで、学校のクラブにはほとんど出ず、スイミングクラブに放課後通っていました。

祇園という町から自転車で1時間位かけて通っていました。原爆ドームは毎日のように見ていました。スイミングクラブに来ている友達のほとんどはもっと近いところから通っていたので、とてもうらやましく思っていましたが、時々、遠いというのを理由にゆっくり行って、遅刻していました。

スイミングクラブでは、初めに2~3kmのランニングをし、そのあと筋力トレーニングを30~40分して、2時間ぐらいの水泳でした。終わるのは8時位で、そこから自転車で帰りますが、途中でよくコンビニに寄り、1Lの麦茶やジュースを買って飲みながら帰ったのを思い出します。多い時は2Lくらいは飲んでいたでしょうか。

私たちの時代の中学校は最悪な時代よりも少し落ち着いてきた時代でしたが、授業中はいわゆる不良の先輩達がベランダを伝わって窓から授業を覗きに来たりしていました。しかし、最近テレビでよく現役の教師が出て『授業にならない状態』と言っているようなことはなく、クラスの番長も授業をかき乱すということは余りありませんでした。一度新任の女性の先生を泣かしていたことはありましたが。

いじめはあり、常に決まったいじめられっ子はいましたが、陰湿なものではなく、休憩中にちょっかいを出されているという位のものだったと思います(もちろん当人がどのように感じていたかは分かりませんが)。当時夏休み明けには全校集会で、各大会でもらった賞状を各クラブの選手が受け取っておりましたが、私もその常連であったので(ちょっと自慢?)、不良たちも一目置いていたのか、まじめな私でしたが、まったくと言っていい位何もしてきませんでした。これも水泳をしていて良かったことの一つでしょうか。

断片的に思い出しながら書いていますので、まとまりのない文になってしまいましたが、今回はこのくらいにしておきます。

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2006年3月 1日 (水)

院長の生い立ち(1)

一週間以上も書き込みをサボってしまいました。というより、元々モノを書くという習慣が無いので、テーマを探すのに苦労しています。

今回より、新シリーズで私の生い立ちを時々書いていこうと思います。このことで、当院へ来院して頂いている皆様方と私との距離が少しでも縮まればと思っています。

広島市で生まれた私は近くの保育園、祇園小学校へ通いました。小学生の頃から水泳を始めて、水泳一筋の青春期が始まることになります。広島の名門フジタドルフィンクラブへ兄弟4人全員がいつの間にか通い始め、最終的に続けたのは私だけでした(兄は水泳、陸上からスキーへと転向し、今では神奈川県から国体にも出ています。弟は卓球、妹はバレエへ)。

Img024_edited 小学校低学年の頃、毎週日曜日に祖母に連れられスクールに通い、その帰りにレストランでハンバーグか何かを食べるのが楽しみだったのを覚えています。小学校高学年頃にはロサンゼルスオリンピックにも出場した奥野景介・現早稲田大学助教授にあこがれてはいましたが、特に強い思いもなく淡々と泳いでました。小学校では4年生の時に囲碁クラブ、5・6年生では先生が僕達のために体操・水泳クラブを作ってくださり、そのクラブに在籍しながら、スイミングスクールに通っていました。

Img025 Img025_edited_1  (拡大)

クラブ以外では、小学校の夏休みには体験飼育員という企画が安佐動物公園で3日間行なわれ、タヌキや鹿の担当になり、タヌキも同じ場所で排便をすること(ウンチの山)を学びました。当時から生き物は大好きで、夏は特に川へ山へ行きザリガニやハヤ、ナマズ、クワガタなどを取っては遊んでいました。今ではなかなか出来ないと思いますが、空き地で基地を作って遊んだり、そこにある建物でこっそりゴールデンハムスターを飼ったりしていました。そうそう確か絵画教室にも通っており、毎週土曜日に300円くらい持って教室で紙を買い花瓶などを描いていました(もちろん才能はゼロ)。また、アンビックという英会話教室にも通っており、そのおかげで中学校に入ってからの英語に対するアレルギーは全くなく今日まで来たと思います。

書き始めると少しずつ思い出してくるもんですね。今回はこれ位にしておきます。次回をお楽しみ(?)に。

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